読書好きけんの雑記ブログ(ヘルシー志向強め)

日々思いついたことをシェアしたいと思っています。読書で得た知識も備忘録を兼ねて、わかりやすく感想をアップしようと考えています。

「ちょっと神さまになってみました 死んで分かった、あの世の仕組み」(荒川 祐二 著,高橋 日董 監修)を読んだ感想

タイトルが気になる

 

 

「ちょっと神さまになってみました」というタイトル、そして表紙がアニメの絵のようになっているところから、面白そうだと思い読んでみました。

 

本書のタイトルからもわかる通り、死後の世界、あの世の仕組みを知ることができるのかなと考えたことも興味が湧いてきた理由です。

 

もちろんあの世の仕組みを知ることなど、誰もできないわけですが、いろんな考え方を知ることで、今の生活をより良いものに変えることができるのであれば、素晴らしいことだと思います。

 

この本で言いたいことは、おそらくあの世はこのようになっているから、どのように今を生きるべきかということを伝えたい、ということなのではないかと感じました。

 

人は間違いを犯す

 

当たり前ですが、人は間違いを犯してしまいます。

 

全く間違いを犯すことなく生活している人は一人もいないはずで、様々な失敗をしながら生きているわけです。

 

もちろん人間やから、過ちを犯すこともあるやろ。ただ、大切なことは、それを取り戻すような前項を積むこと。少しずつ「プラスの経験値をためる行動」を積み重ねることで、差し引きの結果プラスになれば、自ずとそれぞれの王の審理も厳しいものではなくなっていく

 

マイナスとなるような行動を行ったとして、それを相殺することができるようなプラスの経験値をためていくことで、あの世での裁きのようなものも有利に進むようになる。

 

なんとなくゲームの攻略のような気がしてしまいますが、今生きているところでいかにプラスになることを行うか、ということだけを考えるよりも、あの世のシステムのようなものを知ることで、より積極的にそのような行動をとることができるような気がします。

 

先ほどの引用の中で「王の審理」というところがありますが、よく知られているのは閻魔大王の裁きですね。

 

地獄へ行くか天国へ行くかという審議を閻魔大王が行うのですが、あまり知られていませんがそれ以外にも何人かの裁判官がいて、49日かけて裁かれるようです。

 

そして、その審議の過程では生きている間にどれだけ良い行いをしたかということが重要とされ、善い行いが悪い行いよりもどれだけ多いかということが重要になるそうです。

 

もちろん悪い行いが多ければ、地獄に行ってしまうことになるのですが、それを知っていれば、より良い行いをしなければ、という考えになるのではないでしょうか?

 

本当の幸せとは

 

主人公はタイトルの通り、「ちょっと神さまになって」みるという経験をしますが、その過程でいろんな気づきを得ます。

 

そこで本当の幸せというものも知ることになります。

 

幸せになりたい、という気持ちは誰にでもあるわけですが、そもそも本当の幸せというのはいったいどのようなものなのでしょうか?

 

結論からいうと、人も神も「成長」=「幸せ」や。それ以外にない

 

成長を感じることで、幸せを感じることができるというのは、誰もが納得できるのではないでしょうか?

 

成長してできなかったことができるようになる喜びは、何にも代えがたいものがありますよね。

 

本書では、主人公が神になってみたところで、これを自覚しています。

 

神ですから、様々なやりたいことが自由にできてしまうわけですが、ひとしきりそのような体験をすると、訪れる感覚があります。

 

それは「飽きた」という感覚です。

 

そもそも、ここに来ることができる者ってのはな、現世で善行を積んできた人間なわけや。そんな人間なら、物質的欲望やいわゆる三大欲求(貪欲・性欲・睡眠欲)みたいなやつに、本当の幸せや喜びなんてないということはすぐにわかる

 

成長ということだけが、幸せをもたらしてくれるのですが、実はそれは神も同じだというのですね。

 

成長していくことなく、いろんな楽しいことができたとしても、何も幸せを感じることができない、ということは何かを乗り越えていく経験の中に幸せがあるということです。

 

そして、それはいつまでも変わることがなく、神さまになった後も変わらないことのようです。

 

神が成長するためには、自分のことだけ頑張ってもダメなんや。指導者として人を教え導き、成長させることが必要になる。それこそが神の役割というわけや。だから人の応援をする。そして願いを叶えて、感謝されることで、神としての位が向上し、さらに上位の神や菩薩となっていく

 

これは、神ではない私たちも同じことなのですよね。

 

誰かの成功を後押しすることができれば、これ以上ないほどの幸せな気持ちを感じることができますし、それがより自分の成長にもつながるということは、多くの指導者が指摘していることですし、私も経験からそれは正しいと考えています。

 

苦しみや悲しみなど

 

苦しみや悲しみなど、私たちは経験したくないことを絶対に経験しなくてはいけません。

 

そのような経験をすることにどのような意味があるのか、なぜ自分だけがこのような目に遭わなければならないのか、という怒りのような感情を抱くことはよくあります。

 

しかし、これも成長のために必要なものだとしたら、考え方も少しは変わるかもしれません。

 

痛みや苦しみは、人間が大切な何かに気づき、人生を軌道修正するために、僕ら神が与えるものなのだ。この痛みが、必ずや未来の幸せへとつながっていってほしい。そう願っているからこそ、僕ら神は苦しみながらも今、こうして試練を与えている。

 

神としても、人間にただ快楽を与えるだけで、満足してもらった方が楽なのかもしれません。

 

苦痛を与えるなんて、ただ恨まれるだけの可能性もありますし、乗り越えられない人も出てくるかもしれません。

 

しかし、快楽だけを与えることは、本当の幸せにはならず、すぐに飽きてしまって次の快楽を求めていくようになる可能性もあり、人間を堕落させるだけという結果につながります。

 

ですから、神もつらい気持ちをぐっとこらえて、私たちにつらい経験をさせようとしているのかもしれません。

 

神も私たちもともに成長していくという考え方があれば、今後の苦労や試練も乗り越えようという気力がわいてくるような気が私はします。

 

お前も天界にいてわかったと思うけど、快楽というのはあくまで成長の副産物やねん。快楽自体が目的になってしまってはいけない。あくまで目的は魂の成長。そのために必要なことを、俺たち神は人に与えていかなければならない。

 

神も大変な役割を果たしながら、私たちを成長させようとしてくれているようです。

 

まとめ

 

死後の世界というのは、誰にもわからず、あの世の仕組みも知りようがないはずです。

 

ですから、本書にかかれている事が真実かどうかもわからないものです。

 

ただ、私が本書を読んで思うことは、神と一緒に成長していくという考えは、きっと今後の苦難や試練を乗り越えるための力を与えてくれるだろうということです。

 

また、死後の世界でも幸せになるためには、という考え方を持つことができれば、今の生活の中でも、他者をサポートする重要性をより認識することができるかもしれません。

 

そのような考えを持つことは、本書を読む前は持つことができなかったのですが、今は死後の世界を少し意識して、本当の幸せについて考えながら生活できるのではないか、という気がしています。

 

宗教的な要素がどうしても漂ってしまうテーマなのですが、本書は宗教的な香りは全く感じない内容になっています。

 

そのため、誰にでも読みやすい内容になっていますので、今後の生き方の参考にしたいという場合は、お勧めしたい書籍です。