「自省録」(マルクスアウレーリウス著)の感想
五賢帝マルクスアウレーリウス
自省録は、 ローマ五賢帝の一人である、マルクスアウレーリウスによって書かれた本です。
世界史などではマルクス・アウレリウス・アントニウスという名前で出てくる人物です。
この本の内容をすごく簡単に言ってしまえば、マルクス・アウレリウス・アントニウスが、いかにしてよく生きるかを書いた本ということになります。
しかし、この一言で済ませてしまうのは、本当にもったいない本だと私は思っています。
彼の在位は、161年 - 180年ですので、1800年以上前に書かれた本ということになります。
しかし、その時期に書かれた本から、私は本当にたくさんのことを学ぶことができました。
時間の重要性
まず、マルクス・アウレリウス・アントニウスがいかに時間を上手に使うことを意識していたのか、ということを痛感させられます。
昔の人だから、時間にも大らかなのではないか、しかも皇帝ですから贅沢三昧の生活なのではないか、と私は思っていたのですが真逆ともいえる心構えが書かれています。
思い起こせ。君はどれほど前からこれらのことを延期しているのか。またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。しかし、今こそ自覚しなければならない。君がいかなる宇宙の一部であるか。その宇宙のいかなる支配者の放物線であるかということを。
(26ページ)
読んでいて耳が痛いところです。
先延ばしをすることが、如何に罪深いことなのか、時間を無駄にすることなのか、ということが見事に表現されていると思います。
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに許されている間に善き人たれ。
(55ページ)
先延ばししてしまう気持ちは、面倒くさいという気持ちとか、やりたくない、やる気が出ない、などいくつもあると思いますが、やはりその根底にあるのは時間は永遠にある、というような考えではないでしょうか。
時間は有限であり、有効に使わなければならない、ということは百も承知、誰もが理解していることなのですが、それができない。
なぜなら、気持ちのどこかで、一万年生きるというような感覚があるからだと思います。
しかし、当然そんなに生きるわけもなく、後々先延ばしを後悔してしまう、ということを何度繰り返してきたでしょうか。
それを戒めるためには、やはりここに書かれていることを心にとどめる必要がありますね。
後々後悔することを避けるためには、やはりあらゆる行動を意識して行う必要があります。
一つ一つの行為に際して、自ら問うてみよ。「これは自分といかなる関係があるだろうか。これを後悔することはないだろうか」と。
(142ページ)
これは、誤った行動をするべきではない、という意味で書かれていて、その行為が正しいのか、自らに問うものですが、先延ばしという悪癖に関しても、この問いかけはとても効果があるように感じます。
本書のいたるところで、今すぐによき人たれ、という内容の記述を見ることができます。
君がそんな目に遭うのは当り前さ。君は今日善い人間になるよりも明日なろうというんだ。
(149ページ)
今がそのタイミングであり、そのためにはどんな言い訳も通用しない、ということを徹底するからこそ、皇帝にまで上り詰めたのかもしれませんね。
正しい行為
古代ローマの皇帝には、どのようなイメージを抱く方が多いのでしょうか?
私は、贅沢三昧で、残酷な一面があり、人々から利益をむさぼる、というようなイメージが少なからずあります。
もちろん、そんな皇帝はすぐに市民の反感をかってしまうため、長期間続くことはないため、事実はそうではないですし、これは単なる私のイメージですので、そう考えていない方も多いでしょう。
この自省録を読むと、私の考えは、マルクス・アウレリウス・アントニウスに関して言えば、全く間違っていたということになります。
正しい条理と正義をもって現在を利用しなければならない。くつろぎの時にもまじめであれ。
(59ページ)
正しい行いの重要性は、たとえくつろいでいる時であっても重要だと考えていたのですね。
皇帝になるためには、それほど徹底した正義を貫く必要があったのかもしれません。
あらゆる行動に際して、ただ自己に対して美しくあろうということのみが君の唯一の関心事であり、念願でなくてはならない。
(中略)
自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。
(134ページ)
思えば、後々後悔する行為というものは、すべてその時に自分に問いかけると、間違った行動だという答えがすぐに出るものばかりです。
しかし、自分に問いかけることなく、今楽しければよい、という気持ちを持ってしまうことが、その後の後悔につながっています。
そのことをすでに指摘するということは、人間の本質は今も昔も変わらず、それを理解して自分の成長につなげることができる人だけが成功していくのかもしれません。
外からの影響に対して
外からの影響で、落ち込んでしまったり、嫌な思いをしたりということは、誰でも常に経験していることです。
なぜ、自分だけがこんなに理不尽な目に遭わなければならないのか、というような気持ちになることも多いですよね。
しかし、著者はこう述べています。
君がなにか外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。
(158ページ)
真実過ぎてぐうの音も出ない気がしますね。
外からの影響というのは、やはり私たちの考え、認識で解釈されるものであり、影響それ自体が問題ではなく、私たちの心が問題なのだ、ということです。
最近の心理学や精神医学の本でも読んでいるかのような気持ちになりますが、これは1800年以上前に書かれた本だというのが本当に驚きです。
間違いを素直に認め改める
自分の間違いを指摘されると、どうしても気分を害してしまいます。
人間ですから、ミスを指摘されるのは当然痛みを伴いますよね。
私もそこが本当に苦手です。
もしある人が私の考えや行動が間違っているということを証明し納得させることができるならば、私はよろこんでそれらを正そう。なぜなら私は真理を求めるのであって、真理によって損害を受けた人間のあったためしはない。これに反し自己の誤謬と無知の中に留まる者こそ損害を蒙るのである。
(108ページ)
間違いに固執し、維持になって認めないと、損失を蒙るのは自分自身です。
やはり、間違いに気が付いたときには、素直に認めて改善していく気持ちが成功に導いてくれるのでしょう。
まとめ
私は、この自省録を何度も読んでいるのですが、そのたびに新しいことを学べるような気がしています。
気分が落ち込んだときや、何かに迷ったときには、ぜひこの本を読んでいただきたいと思うほどに優れています。
個々の事例に対して、細かくどうすべきということは全く書かれていないのですが、人生の根本的な考え方、というようなものが学ぶことがきっとできると思います。
そのような考え方を身につけたうえで、物事に対処するのとしないのとでは、おそらく結果が大きく違ってしまうでしょう。
様々な自己啓発に関する本が出版されていますが、すべてはこの自省録に詰まっていると言っても間違いではない、と私は思います。