「遅読術」(適菜収 著)を読んだ感想
遅読術を知りたい
遅読術というタイトル、そして表紙の女子高生のようなイラストが目に止まったので読んでみました。
私は、速読についてはたくさんの本を読んでいるのですが、遅読について書かれている本は一つしか読んだことがありませんでした。
その本についてはこちらに感想を書いていますので、参考にしてみていただけるとありがたいです。
私は常々疑問に思っていることがあるのですが、速読を教える教室はたくさんあるのですが、遅読について教える教室がないのはなぜでしょうか?
速読には需要があるけれど、遅読については需要がないということが一番の理由になるとは思います。
また、遅読は教えてもらわなくても、誰もが行っていることだと考えられているからかもしれませんね。
しかし、私は遅読についても教えてもらいたいと考えていますので、このような状況はちょっと残念です。
遅読の反対である速読については、いくつかの本を読んでいますし、いくつかのトレーニングを受けたことがありますので、その方法については多少理解しています。
トレーニングを受ければ確かに多少は読むスピードは速くなりますが、それは自分が知っている内容の本に限られます。
自分が知らない本については、読むスピードは速くならないため、実践的ではないと感じています。
例えば、哲学的な本はとても難解なのはご存知だとおもいますが、そのような本こそ速読したいというのが正直なところです。
なぜかというと、知識がない分野の本ほど早く読みたいから速読を学んだというのが私の理由だからです。
知識がない分野の本を素早く何冊も読んで、その分野を速くマスターしたいという怠け者の発想からそう考えていたのですね。
しかし、私だけではなく多くの方も、知らない、よくわからない内容の本を速く読みたいという気持ちで、速読を学びたいと考えているはず。
試験や語学などを速くマスターしたいから、速読を学びたいという気持ちが強いはずですよね。
しかし、一番重要なそのまだ知らない分野の読書には、速読が使えないというのであれば、何のための速読か、ということなのです。
速読を効果的に使うためには
速読を効果的に使うためには、先ほどのような目的には使うべきではないということになります。
とはいえ速読が全く役に立たないものか、というとそういうわけでもありません。
速読して良い本と、速読してはいけない本、を正確に分類するということがとても重要であり、そのために速読があると考えるべきだと私は考えています。
読むべき本が、読むべきでない本か、という分類を正確に行うためには、やはり全体をざっと見てしまって判断することが手っ取り早いですが、そのときには速読が役に立ちますね。
そして、速読が一番効果を発揮すると考える状況があります。
私が速読を使えると感じる本は、数回読んだ本になります。
数回読んだ本ならば、速読できますし、速読することでその本の内容をすばやく確認したり、記憶を強化するために使うこともできます。
ですから、試験の参考書などがそれにあたりますし、他にも知識として吸収すべきものがある本については、何度も読む度に読む速度が上がっていくため、速読が可能になります。
ただ、この方法は重要ですが、速読というテクニックを使っているわけではなく、私たち人間の機能のような気がしますので、速読というべきかどうかについては疑問だ、という意見もあるかもしれません。
私個人の意見としては、速読だと考えていますので、一応お話しさせていただきました。
遅読とは
そして、速読の反対である遅読の方法について考えてみると、そもそも何が遅読なのか、ということが今一つ曖昧なように感じます。
全然曖昧ではなくゆっくり読めばよい、という意見もあると思いますが、それはいわば「普通読」で遅読とは違うような気がするのです。
そこで本書を読んでみると、次のような指摘があります。
凡人の目には見えないものがトクヴィルには、はっきりと見えていた。なぜ、20代の若者にあそこまで見えていたのか?その「見え方」や思考回路を追体験するのが、トクヴィルを読むということです。
(44ページ)
ここで指摘されていることは、遅読の意味を明確にするものだと私は感じます。
トクヴィルとは、アレクシ・ド・トクヴィルのことで、フランス人の政治思想家であり法律家であり政治家でもあるという人物です。
そのトクヴィルが19世紀初頭に当時新興の民主主義国家であったアメリカ合衆国を旅して著した「アメリカの民主政治(アメリカのデモクラシー)」のことについて書かれていると思われます。
私もこの本を読んだことがありますが、非常に難解な本だなと感じました。
近代民主主義思想の古典として、今でもアメリカの歴史及び民主主義の歴史を学ぶ際には欠かせない教科書として使われているものです。
この本を読むにあたっては、トクヴィルが書いている内容をただ読むだけではなく、なぜそのような見え方ができたのか、という著者の内面のようなものまで見ていく必要があるということですね。
著者の思考回路を追体験していく、ということが遅読ということですから、速読でさらっと読んでいては、とてもそのような体験はできないはずです。
なぜそのようなことが必要なのでしょうか?
ネットでは一番肝心な部分が見えてこない。それは答えにたどり着く過程、思考回路の部分です。
(29ページ)
いまではネットを調べれば、ほとんどの情報を得ることができますが、それでは得られないものが遅読では得られるということが重要なのですね。
著者はなぜそのような答えにたどり着いたのか、というところまで読めるかどうか、ということが遅読、速読の違いということになります。
著者が「どのような答えを出したか」よりも、「何を問題にし、どのような角度から思考したか」を読み込むのが「大人の読書」です。
(47ページ)
どのような答えを出したか、ということ自体が重要ではないということではありませんが、その答えを導き出した道筋を読まないと、著者と経験をともにしたことにはならないということです。
そのような大人の読書ができているか、私ももう一度自分に問いかけてみる必要がありそうです。
まとめ
遅読術ということで、遅読のテクニックがかかている本なのかな、という感じで手に取ったのですが、内容はテクニックについて書かれたものではありませんでした。
本書で強調されていることは、名著や古典を読んで著書の思考に自分を合わせていくことの重要性のように感じます。
もちろん、そうする必要もない本もたくさんありますので、そこの見極めも重要ですね。
あらゆる本を遅読していては、時間がいくらあっても足りませんから。
とはいっても、いきなり名著や古典を読んでも難解でどうすればよいかわからないかもしれません。
トリガーというか、ひっかかる部分を一節でも頭の中に保存しておくべきです。そういう目的意識を持って本を読めば、古典的名著の中には必ず核となる思考回路が存在することに気づきます。
(48ページ)
読書というと、目的意識を持つことなく読み始めることが多いですが、遅読を行う場合には、このような目的意識が重要になりそうですね。
そうすれば本から得られるものは、速読よりもはるかに大きくなりそうです。