人を助けることで尊敬される人と舐められる人の違いとは?
たくさんの人を助けても誰からも助けてもらえない
人を助けることはとても大切なもので、例えば仕事でいろんな人と協力したりしてプロジェクトを成功させるなど、他社との協力はとても重要ですよね。
できることは何でも手伝うという姿勢がとても重要だと思うのですが、そのような行動を行うことで相手の反応は大きく2つに分かれるのではないかと思います。
一つは尊敬されて他者からもたくさんの援助を受けることができるパターン。
そしてもう一つは相手になめられていろんな仕事などを無理やりやらされるパターン。
この2つのパターンでは、どう考えても最初のパターンになりたいと思うわけですが、なぜか大変な仕事を相手からたくさん任されて、自分の仕事が終わらずいつも残業という方もいらっしゃるのが現実です。
相手のためにいろんなことをして助けるということは同じなのに、どうして相手からの反応が違うのでしょうか?
情けは人のためならず
情けは人のためならずとは、情けをかけると巡り巡って自分の元に帰ってくるからどんどん情けはかけなさいという意味ですね。
相手を助けるという行為も情けをかけるということですからどんどん行うべきことです。
私たち人間の心理としては、助けられてばかりではなんとなく申し訳ない、という気持ちが働いて、助けてくれた人が困っているときには、同じように助けてあげたいという気持ちになります。
これを返報性の法則と言います。
この返報性の法則が働けば、お互いに助け合ってよい関係が築けるわけですが、舐められる人というのは、この返報性の法則が働いていない状況にあるわけです。
ではなぜ返報性の法則が働かないのでしょうか?
自分を犠牲にしていないか?
他人に舐められる人というのは、相手のことをとても良く助けるのですが、それを行うために自分を犠牲にしていることが多いのです。
自分の仕事で忙しいにも関わらず、相手から助けてほしいと言われると、自分の仕事を犠牲にしてその人を助けるという行為が分かりやすいでしょう。
そのような行動をせざるを得ない状況もあるとは思いますが、自分を犠牲にする人は概して常に自分を犠牲にして相手を助ける行為をしがちです。
そのような優しさは尊いものですが、相手に舐められるまでそれを続けるというのは、やはり避けなければなりません。
そこで重要になるのは、自分を犠牲にしてまでも相手を助けることはしないようにすることです。
できる限り相手を助けるという気持ちを持ちつつも、自分にできることは助ける、できないことは助けることはできない、という明確な意思表示を行うようにするのです。
「NO」と言わなければならない場面では、しっかりと「NO」を伝えるということが相手に明確に伝われば、相手に舐められて無理やり仕事などを押し付けられることもなくなるでしょう。
もちろん「NO」というときには、喧嘩腰に言う必要はなくて、申し訳ないけれどこれこれの理由で助けることができない、という感じで論理的に断るということが重要です。
断られても仕方がない、という気持ちを相手に抱かせるように、上手にコミュニケーションをすることも重要ということですね。
まとめ
断ることを恐れていると、どうしても人は舐められてしまう傾向にあるようです。
したがって、断る勇気を持つことが舐められないことにつながるのですが、すべてを断ってよいというわけではなく、お互い助け合うという気持ちは忘れてはいけませんね。