岸田新内閣の人事に不満?ちょっとその人事を調べてみました。
麻生氏の傀儡?
岸田総裁が誕生して、その人事について注目が集まっていたのですが、その人事も大方明らかになってきているために、その内容に賛否が分かれています。
誰もが納得する完璧な人事というのはあり得ないことですので、誰もが言いたい放題言っているような印象を受けます。
中でもよく言われることが、麻生太郎氏を副総裁に起用することへの是非です。
麻生氏は9年近く財務大臣を続けているところ、今回は副総裁に登用ということで、岸田内閣も結局は麻生氏の傀儡内閣ということが言われます。
しかし、財務大臣は財政政策や予算などに大きな力を持っているのですが、副総裁になると岸田氏にアドバイスをする程度の名誉職の意味合いが強いようです。
ですから、麻生氏の力はそれほど岸田内閣には及ばないのではないか、と私は考えています。
鈴木氏の財政に関する発言は、過去にはないようなので緊縮財政をするのか、積極財政をするのか、どちらかが分からない現状です。
しかし、岸田氏は総裁選の中で積極財政、特に増税は10年間行わないということを発現していましたので、鈴木氏もおそらく積極財政を行うのではないかと思っています。
国民としては積極財政を行う人の方が良いわけで、その意味でも鈴木氏の言動を注視しておく必要がありますね。
ちなみに岸田氏は早稲田大学出身ですが、鈴木氏も早稲田大学出身で鈴木氏が先輩にあたるそうです。
大学なんてあまり関係ない、というのが大方の考えかもしれませんが、同じ大学出身の人を見つけると意外と嬉しいものです。
私はそんな背景もあって、岸田氏の鈴木氏に対する信頼はかなり厚いのではないかと思います。
高市早苗氏を政調会長へ
そして岸田氏は、総裁選を戦った高市早苗氏を政調会長に起用するようです。
政調会長というのは、名前は良く聞くけれどその役割がよくわからない役職ですよね。
そこで、どのようなことを行うのかを調べてみました。
まず、政策を内閣に上げるためには政策立案を行う必要があります。
その政策立案は基本的に全会一致でなければならないのですが、当然すべてが全会一致になるわけがありません。
一致が不可能ということになった時には、政調会長にその判断を一任するのだそうです。
例えば下村博文氏が政調会長の時には、プライマリーバランスの黒字化を政策に盛り込むかどうかで一致ができなくなり、下村氏に判断が一任され目標が政策に入れられてしまいました。
それによって日本の経済は全く成長しなくなってしまったわけですが、高市氏が政調会長になるということは、このプライマリーバランスの黒字化を白紙にしてくれるかもしれません。
私はひそかにそれを期待しています。
まとめ
岸田内閣の人事については賛否ありますが、それほど悪いものではないかもしれない、というのが私の感想です。
もちろんまだスタートもしていないので何もわからない状況ですが、期待はできるような気がします。
これから衆議院選挙がありますし、来年の夏には参議院選挙があります。
この2つの選挙に自民党が勝利すれば、岸田政権は長期政権になるかもしれません。
岸田氏はそれを当然わかっているため、私たち国民のための政治をしてくれるのではないか、という期待もありますね。
民間給与が下がっている一方で失業率が低く抑えられている事実について
民間給与が下がっている
2020年の民間給与の平均が433万円だったということで、新型コロナウイルスの流行によって下がってきているのが現状です。
給与については多ければ多いほど良いのは当然ですが、無限に上げることはできないので、上がったり下がったりします。
新型コロナが落ち着けば上がっていくように感じますが、それでもその伸びは緩やかなのかもしれません。
しかし、一方で注目しなければならないのは失業率です。
失業率については、直近のデータでは2.8パーセントと3パーセントを切るほどに低い状況です。
2020年も3パーセントを切る失業率でしたので、新型コロナ禍でも失業率は上がっていませんね。
新型コロナウイルスが流行していて、飲食業の方、旅行業界の方など多くの業界で打撃を受けているなかで、失業率が上がっていないということは、政府の経済的な政策がある程度機能しているということを意味します。
野党やマスコミは、実質賃金が下がっていることを理由に、アベノミクスは失敗だったということを強調しますが、失業率については全く触れないことには、何らかの意図的な情報の操作を感じますね。
失業率が上がっていくということは、新人の方々もたくさん雇用されるわけで、最初はその方々の賃金は低いため、実質賃金を押し下げる効果を生み出します。
アベノミクスは、失業率を下げたために実質賃金が下がっているということを報道すれば、野党やマスコミの主張は間違っているということがすぐにばれてしまうのですが、それは言いたくないようですね。
2020年の民間給与はリーマンショック並みの下げ
433万円になったのは、リーマンショック並みの下げ幅ということですが、やはり新型コロナウイルスによる打撃は避けられないものです。
多くの企業でボーナスや給与が下げられているために、このような結果になっているわけですが、失業率が上がらないということにも焦点を当てなければ、やはりその分析は間違っているということになります。
2008年のリーマンショック後の民主党政権では、なんと失業率は5.1パーセントになっていました。
これは、リーマンショック後で東日本大震災前の数字ですから、民主党政権がどれだけ何もしていなかったかが分かります。
その野党が、政権時代の失策を反省することなく、今の自民党の政策を批判し続けているのはいかがなものか、という気がします。
民間が苦しんでいるときには、政府は財政出動を増やす必要があるわけですが、財政出動を増やすどころか、事業仕分けを代表として緊縮財政を行ったのですから、如何に素人の政党なのかということが明らかです。
その反省がないということも、立憲民主党の支持率が全く伸びない理由の一つではないでしょうか?
まとめ
新型コロナウイルスには、国民すべてが苦しめられています。
そんな中で、完ぺきではないにしても政府はいろんな対策を行い、失業率を低いところで維持しています。
その事実を報道するメディアがあってもよいように私は思うのですが、あなたはいかがお考えでしょうか?
投資家に必要な仕入れの能力、ルートとは?
投資家は簡単になれる?
投資家として独立したいと考える方は、意外と多いように感じます。
しかし投資というのは純粋にスキルですので、昨日今日で身につけることができる可能性は極めて低いです。
投資家になるのは、それほど大きな壁がないどころか、証券口座さえあれば規模の差はあれ、簡単に投資を始めることができます。
その簡単さが投資家にすぐに慣れるという感覚を生み出させるのかもしれません。
しかしそう簡単にはいかないわけですが、投資家として独立した後にそれを知ってしまった場合はかなり困った状況になってしまいます。
なぜかというと、投資に失敗してしまうということは、手元の資金を失うことを意味しますので、独立した後に資金を失うということはかなり致命的な結果になることが多いです。
ですから、投資に関しては簡単に独立を考えるのではなく、副業的な考えで取り組むのが一番良いのではないでしょうか?
仕入れができるかどうか
あらゆるビジネスでは、安く物を仕入れて高く売るということができなければつぶれてしまいます。
そしてその仕入れを途切れさせることなく継続することもまた重要ですよね。
投資家になると、この仕入れということに無頓着になりやすいです。
投資家にとって仕入れてというのは、現金のことになります。
如何に現金を安く仕入れてくるか、ということが投資家にとっての一番の腕の見せ所になるのですね。
副業的に投資に取り組んでいれば、毎月決まった金額を仕入れることができますが、独立してしまうと仕入れができなくなってしまいます。
独立する前に確立しておくことは、現金をたくさん仕入れるルートを確保しておくことなのですが、それに意識が向いていない方が本当に多いですね。
現金を仕入れることは、一流のファンドマネージャーには絶対に求められる能力なのです。
世界一の投資家であるウォーレン・バフェットは、すべて自分の資金で投資をしたわけではなく、何人かの人から資金を募ってファンドを始めています。
他の有名な投資家も、誰かからお金を集めることで投資を行うものです。
当たり前ですが、詐欺的な方法で資金を集めるということは絶対にしてはいけないことです。
それとは全く逆に、この人になら資金を預けて投資をしてもらいたい、と思ってもらえることが重要なのであり、そのためにはある程度の運用成績も示す必要がありますが、独立するときにはそんな考えは全くない方が本当に多い。
独立してから後悔することなく、しっかりと準備を進めていくことは、どんな事業を行う時でも同じですね。
まとめ
投資家になると仕入れのようなものは必要ないと考えるかもしれません。
しかし、日々の生活に資金は使わなければならないため、投資に使えるお金が少なくなる可能性が高いです。
もう余るほどにお金があるというなら別ですが、そうでない場合はしっかりと収入の流れを確保しておくことがまず第一です。
論破することが良いという風潮に疑問を感じませんか?
論破は良い?
論破することが素晴らしいというような風潮を感じるのですが、これに少々違和感を感じています。
というのは論破というのは何が何でも自分の主張を相手に受け入れさせるというようなイメージを持つ方が多いからです。
そのような形での論破をしなければならない場面というのは確かにあります。
一番分かりやすいのは法廷になるでしょうか?
法廷では相手を論破しなければならないですし、弁護士や検察官はそれが仕事のような気がします。
実際に法廷で仕事をするということは少ない、ということを聞きますが法廷に立った場合は、相手を論破しなければならないはずです。
しかし、実生活では今世間で言われているような論破が必要かどうかというと、ほとんど必要ないように感じます。
論破とは何か
そもそも論破とはどのようなことを意味するのでしょうか?
論破とは辞書などで調べると、議論して相手の説を破ると書かれていると思います。
この説明では相手の説を破るということが論破なのですが、破る方法については議論してと書かれているだけで、実際にどのようにして論破するかということが分かりません。
論破するという言葉の「破」というところに、なんとなく暴力的なイメージを抱いてしまうため、相手に不満を抱かせたままでも相手を納得させるのが論破だと勘違いしているように思います。
本当の論破とは何か?
論破とは相手を屈服させるようなものと理解している方は、周りに多くの敵を作ってしまう可能性があります。
敵を増やしてよい、というなら止めることはありませんが、相手と仲良くしていきたいという場合は、論破の意味をしっかりと理解しておく必要があるでしょう。
論破とは議論して相手の説を破ることですが、そこには「相手が納得している」かどうかということがとても重要になります。
相手が自分の説が間違っているということを理解して、喜んで相手の説に従うという状況を作りだすのが理想的です。
こうなれば、論破した相手はあなたの味方となってくれるわけです。
相手を屈服させるということとは全く逆の状況を作り出すことができるのですね。
相手を屈服させることなく、納得させることで論破することができる場合、その人の周りにはとても心強い味方がたくさん集まってくるはずです。
逆に相手の意見を力ずくで抑え込むような形で論破してしまうと、その人にはあまり近寄りたくない、という人たちばかりになってしまうでしょう。
仕事などではいろんな人からの援助が自然に集まってくるような状況を作り出すのが最も重要なことではないでしょうか?
さらに上司ですらあなたの援助に回るようになれば、その会社での地位はおそらく不動のものになるでしょう。
ですから、如何に相手に納得してもらいながら、自分の主張をしていくかという方法を知っていることほど大きな武器はないわけです。
まとめ
論破するという言葉には、相手を丸め込むというようなイメージを抱きがちですが、自分のメリットのためというわけではないですが、どんな時でもWIN-WINの関係というものを意識しておくことが重要です。
それができない場合は、自己満足の論破に終わり、周りには敵だらけという最悪の状況を作り出すかもしれません。
あおりハンドルは良くないようです。
ハンドルを逆に切るのは良くない?
運転で右折する時、左折するときに一度逆にハンドルをきって曲がる人がいます。
私はそれをなんとも思わないのですが、ちょっと良くない行動のようです。
Uターンをするときには、一度左にハンドルをきってから右折を始めることもありますが、通常は全く反対にハンドルを切ることがないので、それほど意識したことがないです。
しかし、道路交通法では以下のような定めになっています。
「車両は、左折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左側端に寄り、かつ、できる限り道路の左側端に沿つて(道路標識等により通行すべき部分が指定されているときは、その指定された部分を通行して)徐行しなければならない」
左折するときには右側に膨らんでから曲がるというのは良くないことのようです。
危険なのは、一度反対に膨らんだときに、その隙間に自転車やバイクが入ってきて巻き込んでしまう可能性があるというのが一つの理由です。
大きなトレーラーなどは内輪差があるために、ハンドルを逆にきることがありますが、普通の乗用車は反対に切ることなく曲がれるようになっています。
ですから、道路交通法に従った運転が重要になるということです。
私などは逆にハンドルを切るのは運転に慣れている人なのかな、というイメージがありましたが、そうではないようで少し驚きました。
まとめ
毎日更新を目標にしているのですが、毎日書くことがなくて困っているところです。
できれば読者の方が読んでよかったと思えるようなものを書きたいのですが、最近は毎日更新が目的になってきてしまっています。
ちょっと反省しなければいけないな、と思いつつ今日も更新目的になってしまったような気がします。
実質賃金が下がっているということは実は良いことです
実質賃金が下がっている理由
日本の実質賃金が上がらないという話を聞くことがあります。
アベノミクスはその意味でも失敗だったという結論を導くものもありますね。
アベノミクスは完ぺきではありませんでしたが、特に消費税増税は最悪の結果を生み出しましたね。
しかし、アベノミクスすべてが失敗だったかというとそうではありません。
アベノミクスによって、たくさんの雇用が生まれたという事実はあまり報道されませんが、確かに失業率が減っているのです。
2021年7月で見ると失業率は2.8パーセントということで、3パーセント以下というとても低い状況が続いています。
ここで重要なのは、失業率が上がっているということは、その職業についたこともない新人の方もたくさん職を得ていることを意味しますので、その方たちは当然最初は賃金が低いわけです。
そのような人が多くいる現状では実質賃金は下がるのが一般的です。
まずは失業率を高くして、多くの方が働くような環境を作らなければ、景気が回復するということは考えられないわけで、その前提条件は整いつつあるということになります。
そしてこの状況が続けば実質賃金も徐々に上がっていく可能性があるわけです。
財務省得意の緊縮財政
しかし、改善されつつある状況も、財務省得意の緊縮財政によってつぶされてしまう可能性は大いにあります。
プライマリーバランスの黒字化ということが常識になっているわけですが、これによって国家が利益を得ようとするわけです。
それはつまり国民からお金を徴収することに他なりませんから、私たちの生活に当然打撃を与えるものです。
そして不景気になってしまうと、アベノミクスの効果が徐々に出てきている今の状況を壊滅的にしてしまいます。
プライマリーバランスを一時凍結して、実質賃金も上昇に転じれば当然人々は将来に少し安心感を抱くことになり、徐々にいろんなものを買うようになってくるはずです。
人々の賃金が増えることで、税収も同じように上昇していくわけですから、増税する必要もなく税収が増えていくということも期待できるわけです。
しかし、プライマリーバランスの黒字化という悪魔のささやきが、多くの政治家や官僚を縛り付けているために、思い切った財政出動ができないことで、私たち国民のそのつけが回ってきているのは明らかです。
マスコミはプライマリーバランスの黒字化を報道すると利益を得ることができるのでしょうか、増税などを必要なものとしか報道しません。
また自民党総裁選でも、一番緊縮財政を行いそうな河野氏を分かりやすく押しています。
今回の総裁選では高市氏が、財務省の嘘を大々的に発表していますので、今後の政府の行動がどのようになるのか見ていきたいという気持ちが強いですし、さらにマスコミの報道もどう変化するか、ちょっと注目してみたいところです。
まとめ
実質賃金が下がっているということは、マイナスであるという報道ばかりですが、経済学を少しでも学んだ人ならば、かならずしもそのような認識にはならないはずです。
ということは報道関係には経済学を学んだ人が一人もいないのでしょうか?
それとも意図的に間違った報道をしているのでしょうか?
だとしたら、これほど恐ろしいことはないと思いますが、いかがお考えでしょうか?
人を助けることで尊敬される人と舐められる人の違いとは?
たくさんの人を助けても誰からも助けてもらえない
人を助けることはとても大切なもので、例えば仕事でいろんな人と協力したりしてプロジェクトを成功させるなど、他社との協力はとても重要ですよね。
できることは何でも手伝うという姿勢がとても重要だと思うのですが、そのような行動を行うことで相手の反応は大きく2つに分かれるのではないかと思います。
一つは尊敬されて他者からもたくさんの援助を受けることができるパターン。
そしてもう一つは相手になめられていろんな仕事などを無理やりやらされるパターン。
この2つのパターンでは、どう考えても最初のパターンになりたいと思うわけですが、なぜか大変な仕事を相手からたくさん任されて、自分の仕事が終わらずいつも残業という方もいらっしゃるのが現実です。
相手のためにいろんなことをして助けるということは同じなのに、どうして相手からの反応が違うのでしょうか?
情けは人のためならず
情けは人のためならずとは、情けをかけると巡り巡って自分の元に帰ってくるからどんどん情けはかけなさいという意味ですね。
相手を助けるという行為も情けをかけるということですからどんどん行うべきことです。
私たち人間の心理としては、助けられてばかりではなんとなく申し訳ない、という気持ちが働いて、助けてくれた人が困っているときには、同じように助けてあげたいという気持ちになります。
これを返報性の法則と言います。
この返報性の法則が働けば、お互いに助け合ってよい関係が築けるわけですが、舐められる人というのは、この返報性の法則が働いていない状況にあるわけです。
ではなぜ返報性の法則が働かないのでしょうか?
自分を犠牲にしていないか?
他人に舐められる人というのは、相手のことをとても良く助けるのですが、それを行うために自分を犠牲にしていることが多いのです。
自分の仕事で忙しいにも関わらず、相手から助けてほしいと言われると、自分の仕事を犠牲にしてその人を助けるという行為が分かりやすいでしょう。
そのような行動をせざるを得ない状況もあるとは思いますが、自分を犠牲にする人は概して常に自分を犠牲にして相手を助ける行為をしがちです。
そのような優しさは尊いものですが、相手に舐められるまでそれを続けるというのは、やはり避けなければなりません。
そこで重要になるのは、自分を犠牲にしてまでも相手を助けることはしないようにすることです。
できる限り相手を助けるという気持ちを持ちつつも、自分にできることは助ける、できないことは助けることはできない、という明確な意思表示を行うようにするのです。
「NO」と言わなければならない場面では、しっかりと「NO」を伝えるということが相手に明確に伝われば、相手に舐められて無理やり仕事などを押し付けられることもなくなるでしょう。
もちろん「NO」というときには、喧嘩腰に言う必要はなくて、申し訳ないけれどこれこれの理由で助けることができない、という感じで論理的に断るということが重要です。
断られても仕方がない、という気持ちを相手に抱かせるように、上手にコミュニケーションをすることも重要ということですね。
まとめ
断ることを恐れていると、どうしても人は舐められてしまう傾向にあるようです。
したがって、断る勇気を持つことが舐められないことにつながるのですが、すべてを断ってよいというわけではなく、お互い助け合うという気持ちは忘れてはいけませんね。